Fate 39
- 2008/05/06(Tue) -
「マリー様の私室でよろしいですね?」

あえて、名前の部分を強調して口にした太い声の持ち主は、
「お運び致します」
と答えを待たずして颯爽と言い放ち、難なく俺の腕の中から彼女を掬い上げていく。
 
「マディーナ様も、ご自分の私室へお戻りください」  
 
そう諭すような言葉を向けてくるが、その圧するような強い眼差しは、とても末端を示す服を着た下男には思えなかった。
しかも、彼女を抱え上げて運ぶ体格は、ユリアスのように堂々たるもので、鍛えられているように見受けられるのだ。  
そんな人物を目にした藤也が、訝しげに思うのも頷けるというものだろう。 
 
けれど、疑問を生じさせながらも辞さずに男の後を追う藤也は、自分の前を歩む男が、
(……やれやれ、困った方だ)
などと、期待通りにならずに落胆した、けれどどこか楽しげに心の中でぼやいているのを知らない。
 
 
一方のセシアは、注意を促すように足を速めさせてそそと藤也に歩み寄っていた。 
 
「戻られた方がよろしいのでは?」   
 
こっそりと俺の耳元で、不安気な様子を露にさせてそう囁いた彼女は、“マリー”と呼ばれた側室が、今は亡きユリアスの父王の命を奪った国の王女であることに気づいたからなのだろう。 
 
藤也自身もその名を耳にした時は、ドクンと心臓が痛いほど跳ね上がり、全身に緊張を走らせていたのだから、セシアが警戒するのは当然なのかもしれない。
だが、既に落ち着きを取り戻している藤也は、今も身を引き締めさせているものの、ひるみは見せず、心配いらないよ、と安心させるかのように、にっこりと少し余裕めいた艶やかな笑みさえ浮かべているのだ。
それでも心配が拭えないのは、それだけ大切な存在であるからなのだろう。
そんな気丈に振舞う姿をハラハラとした気持ちで見つめているセシアの心情を、知ってか知らずか、藤也は無情にも口を開いていた。
 
「ねね。何で男の人がいるの?」
 
マリー王女のことは、既に頭の隅に追いやっていた俺は、ユリアス以外は入れないはずの後宮に、男がいることに疑問を懐かずにはいられなかったのだ。
セシアは、そのことに関しては別段気にする様子は見せてはいないようだけど、
(……絶対、ただ者じゃない!)
という雰囲気がひしひしと伝わってきているのだから仕方ない。
 
「宦官の一人なんですよ、きっと」
「……宦官?」
 
初めて聞く耳慣れない言葉に、俺は頭を傾けながら聞き返していた。
それは、宮廷や後宮に使えるために去勢を施された男の側仕えを意味するのだという。
後宮制度はもちろん、宦官は一人もいない国の王女に仕えるセシアは、イラスーンへ来る途中に、後宮内のことを一通り教示させられていたのだ。
この国のしきたりや風習に、どうこう言うつもりはないが、初めて目の当たりにした存在に胸が痛む。
―――が。
 
(本当に、この人は去勢しているんだろうか?) 
一瞬だったとはいえ、去勢された人間があんなに強く人を圧するような眼差しをするものだろうか……。 
そう疑い問いながら進ませていた足がぴたりと止まる。
   
 
 
側室順位の最下位な、彼女に宛がわれている部屋は狭いだけではなかった。
日当たりが悪い所為か、少しじめじめとしたような雰囲気を醸し出している私室の入り口に造られた花壇には、芽吹くものすらない。
けれど、おそらく後宮の華やかな姫君たちにとっては、嫌厭せざる終えないだろうその空間は、華美ではなく、落ち着きのある家具で整えられているのだ。 
 
外のムッとする暑さから解放され、少し火照る肌がひんやりとする心地よい澄んだ空気に包まれた瞬間、その胸に大きく息を吸い込ませ、堪能しようとしていた藤也は、
「こちらにお掛け下さいませ」
老婆によって引かれた椅子に腰を下ろした。 
 
そして暢気にも、
(いいなーこの部屋。すっげー涼しいし……)
場所換えてくれないかな?などと、言ってもどうにもならないことを真剣に心の中で嘆く藤也の前で、シンプルなストゥールへ側室を下ろした男は、近くに置かれているローストゥールを手に取ると、そっと彼女の足を乗せ、手馴れた手つきで怪我の手当てを処置していく。 
 
その手際の良さに、藤也の眼差しがわずかに細められていた

〜To be continued〜

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