Fate 52
- 2008/06/03(Tue) -
―――多くの侍女を引き連れた女官長を後ろに伴え、
久しぶりに後宮内に姿を現したユリアスが、
側室たちの熱い注目を一身に浴びながらルイーザ夫人の私室へと渡ってから、 
数時間が過ぎていた。

泉での一件は、思っていた以上に神経を張り詰めていたようで、
湯殿から上がった藤也の身体は、消耗したようにがっくりと力が抜け落ちていた。
そんな姿を心配し、いつでも横になって休めるようにと、
セシアによってラフな服を着せられた藤也も、
その仰仰しく賑わいを見せて後宮内を悠然と進む姿を、
大きな疑問を頭の中に浮かび上がらせながら窓辺から見届けていた。

王位継承権の持たない第一王女のヘレナにさえ、
外を出る時には必ず付けるようにと、ユリアスは自分の配下の侍女を就けていたのだ。
皇太子ともなれば、それ以上にその身の安全を考えているのは当然のはずなのに、
何故、王子は一人だったのかと、気になってしまう彼は、 
まるでその場から逃げるかのように立ち去った、
セシアにぶつかった人物のことが怪しく思えてならなかった。
けれど、彼女を見たのはほんの一瞬だった上に、これといった特徴もなかったのだ。
もうその顔すら、はっきりと思い出せなくなっていることに、
消沈する大きな溜息が、艶やかに赤く色づいた口元から零れる。

後宮内に勤める者は多く、
藤也や順位の下回る数名の嬪と呼ばれる側室を除き、
特に四名の夫人付き侍女の数は殊更膨大な数に上るという。
そのことから、 
関係者かもしれないと疑いをかけた人物を割り出すのは、容易なことではないと思う藤也は、
それでも彼女に特徴はなかったかと、再び薄れゆく姿を思い浮かべていた。

そんな藤也の私室の扉を叩いたのは、女官長次官のディアナである。
後ほど、ルイーザ夫人が私室を訪れるという知らせを持って現れた彼女は、
王子を助ける前の出来事を打ち明けられた途端、
一様でない険しい表情を見せると、慌しく踵を取って返して行く。

「絶対に、自分で探し出そうとはしないで」 
 
そうディアナに固いまでに約束させられた藤也は、
複雑な思いを胸にしながら、外出用のドレスに身を包み込んでいく。

     ◇     ◇     ◇

周りの空気を、一瞬で張り詰めさせるような鋭い目付きを晒し、
私室内を一通り見回して安全を図るように探りを見せた宦官はもちろん、
セシアをも含む全ての者を人払いさせて下がらせた、
怜悧な空気を漂わせているルイーザ夫人が、
居室の椅子に腰を下ろすと柔和な笑みを浮かべて口を開く。

「自分の私室内では、そう気を張る必要はなくてよ」

既に顔は見知っているとからと、安心して取るようにと勧められ、
苦笑を漏らしながらヴェールに手を伸ばした藤也を見つめる眼差しは、
まるで、まぶしいものを見るかのように薄っすらと細められる。  
 
自分を含め、いかなる側室にも気を許さず、
人間的な感情をほとんど表に出さない冷酷なまでに沈着なユリアスが、  
“マディーナ”という名を口にした、そのわずか一瞬の間ではあるが、  
眼差しが暖かな、そして優しいものに変わったことに気づいた夫人は驚きながらも、
その存在が特別な者なのだと悟っていたのだ。

「異例の御触れを出してまで、ユリアス様が隠されたくなるはずですわね」
感嘆するようにそう囁きを漏らした夫人は、
息子の命を救ってくれた感謝の言葉を改めて述べると、
「あの子も、此度の一件で、自身の立場というものが踏まえられたことでしょう」
そう言葉を口にした。

彼女によると、
“母親を苦しみから救いたければ、一人で来るように”という謎めいた密書を読み、
幼いながらも正義感に溢れたルキウス王子は、
人目を忍び、指示された、あのひっそりとした場所へと向かったらしい。
そうして木陰に待ち伏せていた者に、背後から泉に突き落とされたのだという。

(やっぱり、あの人が―――…)

心の中で、疑いが確証を掴んだものへと変わる。
けれど未遂だったとはいえ、事故ではなく暗殺目的だったことに恐怖を覚え、 
藤也の背筋にゾクリと冷たいものが走り抜けていく。

それは、“隙は、命取りに繋がるかもしない”と、
意味深なことを語っていたユリアスの母親であるユリアナの言葉が、
本当なのだと愕然として身につまされた瞬間だった。


〜To be continued〜

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